2015年12月27日日曜日

福島ッ子 冬休のキャンプの一日


お餅つき 。毎年の恒例。

残念!。子供達を撮り損なった。


お点前を経験する
お兄さんお姉さんは、事前に先生の指導あり


お兄さんお姉さんの手助けでお茶を点てる


お茶の先生の微笑みながら

2015年9月10日木曜日

『 脇祖さまの報恩会 』立正佼成会春日井教会にて


『 脇祖さまのご生涯  慈悲の歩み 』のご本を読ませて頂きました。

二回半の読み込みとなりました。
半というのは、付箋のついた個所を拾って読むと言うことです。

一回目では、布施のことばが強烈に残り。
二回目では、六波羅蜜が出てきて残り。
三回目では、これは法華経であり、妙法であり、南無であるの想いが結論となった。

また、報恩と言うのは、先達を見習うということであると思っています。

ですから、「 慈悲の歩み 」は南無 妙法蓮華経であり、脇祖さまを見習うことで
我々が菩薩道を歩んでいけるということです。

四無量心 ( 慈悲喜捨 ) は、菩薩の心の根本。
( 存在するものは、全てに備わっていると考えています ) 
四摂法 ( 布施、愛語、利他、同事 ) は、菩薩として、他者への実践方法。
これを基本として菩薩道を歩いてゆく。

そして、菩薩としての自身への実践修行は六波羅蜜であり、その特質は 一即一切 ですから、
最初の布施波羅蜜は、他の五つの波羅蜜と相互依存的に存在しています。

つまり、一つの波羅蜜には、他の五つの波羅蜜が同時に働いていると言うことになります。
布施だけ、持戒だけ、忍辱だけ、精進だけ、禅定だけ、般若だけという
別々の実践として、心の中で働いているわけではありません。

特に無畏施という、無私性の働きの中に他の五つの波羅蜜は輝きを増して作用しています。

今回の機会を得て、今までの自分自身の六波羅蜜を反省して、
より親しみやすい六波羅蜜を目指してみました。

⚫️ ⚫️ ⚫️  今までのマイナス的表現の六波羅蜜 

① 布施( ふせ )                財施、法施、無畏施 ということを、しなければならない。
② 持戒 ( じかい )           戒を守らなければならない。
③ 忍辱 ( にんにく )       ガマンしなければならない。相手を責めてはならない。
④ 精進 ( しょうじん )    よい結果がでなくても、いやでも、続けなければならない。
⑤ 禅定 ( ぜんじょう )    心を落ち着けなければならい。自己を正当化してはならない。
⑥ 般若 ( はんにゃ )        相手のことを思っていれば、智慧はでてくる。

◯ ◯ ◯  プラス思考の親しみやすい表現の六波羅蜜

① 布施 とは、ものおしみの無さ ( 無私性 ) と他者を受容する力。
② 持戒 とは、日常生活の指針と誓願。
③ 忍辱 とは、すべてを受け入れる包容力。
④ 精進 とは、識の中に、ネガティヴな種を植えない、成長させない。
                        識の中にある、 ポジティブな種に水をやり維持し成長させる。
⑤ 禅定 とは、止観 ( 静まる、集中する、深く観る ) 。
                        呼吸法による心身一体( 心身一如 ) の継続訓練。
⑥ 般若 とは、理解することから始まる。無常、無我、涅槃 ( 平安 ) のリアリティーはある。



最初に「 布施波羅蜜は、他の五つの波羅蜜と相互依存的に存在しています 」と申しました。
また「 その特質は 一即一切 ですから 」とも申しました。

つまり、皆さんが学ぶ教えや経典の理解を進めるとき、四摂法 ( 布施、愛語、利他、同事 ) を実践するとき、現実世界のリアリティーとして自分自身がそこに居る ( 存在している ) ことを認識して見聴きして、実践に結びつけて欲しいと思います。自分みがきの六波羅蜜も然りです。

その結論。
この現実世界は、存在するものが、なに一つ欠けても存在できず。また、なにも隠してはいず。ものおしみもせず。存在は変容を続け、お互いがお互いを受け入れる包容力を持ち、存在それぞれは呼吸をして作用 ( 働き )し、お互いを必要とし、何も求めない。独立した存在は無く、相互依存的にして平安である。現実世界のリアリティーの中に全てはある。

この話しの続きは、次を観てください。
2015年5月1日「 他への理解と思いやり 東野小学校 6年生 57名 」を観てください。
2015年7月19日 「 人として大切なこと 」を観てください。

 私の目標      宮沢賢治  「 雨にもまけず 」

              雨にもまけず
              風にもまけず
              雪にも夏の暑さにもまけぬ
              丈夫なからだをもち

               欲はなく
               決して瞋 ( おこ ) らず
               いつも静かに笑っている

                一日に玄米四合と
                味噌と少しの野菜を食べ

                あらゆることを
                自分の勘定に入れずに
                よく見ききし、わかり
                そして わすれず

                 野原の松の林の陰 ( かげ ) の
                 ちいさな萱 ( かや ) ぶきの小屋にいて

                 東に病気のこどもあれば
                 行って 看病してやり

                 西に 疲れた母あれば
                 行って その稲の束を負い

                  南に死にそうな人あれば
                  行って 怖がらなくてもいいと いい

                  北に 喧嘩や訴訟があれば
                  つまらないから やめろといい

                   日照りのときは 涙をながし
                    寒さの夏は おろおろ歩き

                    みんなに でくのボーとよばれ
                    ほめられもせず
                    苦にもされず

                     そういうものに
                     わたしは なりたい

2015年7月19日日曜日

演題 『 人として大切なこと 』 主催 NPO雨にも負けず

法話 密蔵院住職 田村圓心 

人とは、何ですか?。
では、車とは、何ですか?。大小の車? トラック? 外車?!!!!   雑然としています。
人とは、これも同じように一言では言い表せない。
顔、形、大小、名前、がマチマチ。

人と言う形の字義の説明には、「 天地の性、最も尊き者なり 」とあります。
この天地の性の性が大切です。
性とは、心が生まれると書きます。
生まれたての赤ちゃんのような無垢な心で生まれたる者が人である。



しかし成長するに従って、自分にとって好都合な欲によって成長して行きます。

自分の経験と蓄えた知識は、間違ってはいないとして他を批判します。
ということは、相手も同じように自分を正しいとして他を批判します。
経験と知識が、不必要と言っているのではありません。

とらわれない事が大事、つまり執着しないことが大切なのです。
自由であることが、大切なのです。

仏と言う字は、人がム( 無い ) と書きます。つまり、無欲( 相合依存 ) の状態を表します。
佛の字も同様です。
または、自分中心の欲から解けた人とも言い表せます。
又は、忘己利他の思いやり( 慈悲 ) のある人とも言えます。

では、仏でない人をどの様に言い表すか? 漢文では 『 不仏 』と書き表します。
つまり、仏に不( あら )ず。不( あら )ずをイ ( にんべん ) に重ねますと 『 私 』です。

好都合な欲によって振り回されている 『 私が 』、不仏です。
しかし、人には少しの欲は必要です。睡眠、食事、子孫繁栄などなど。
ですから、古くから少欲知足と申します。
つまり、コントロールが出来るのも人です。

苦を生む、世の中の真実の仕組みに気がつかれたのがお釈迦さまです。
私は、何時も申しておりますのは『 みんなが、釈迦になれば良い 』と。
お釈迦さまは、いまでは、仏と言われますが、
人間であって、苦労して、修行して気づかれたのです。
仏陀( 目覚めた人) となられたのです。
自覚できた又は、認識できた、理解できたと言っても良いと思います。

私達も同じ様に、苦労は必要です。苦労は、自分自身の糧ですよね。
昔から、「 苦労は買ってでも 」と言われます。
美しい蓮の花は、泥の中から生まれます。
その泥は、蓮の花にとっては栄養です。糧です。

今、あなたが抱えている悩み、苦しみ、悲しみを糧にして
自分自身の気づきを体験し、それを実践しましょう。

そのためには、心身が一つになって日常を過ごす訓練が必要です。

つまり、長く吐く息を日常化することです。


本日のテーマの 『 人として大切なこと 』
私自身は、大切なことの実践として、
宮沢賢治の「 雨にも負けず 」の詩にあるような実践を目標にしています。
そのためには、不仏であってはならないと考えて実践をしています。
仏道です。人としての損得を超えた実践が自身の慈悲であるように。


その仏道を歩んでいくのに必要な方法論の一つとして、心身一如を日々の日課としています。
心と身体が、常に一つとして働く様に。
食べる時は、食べる。行なう時は、行なう。

自分の意識が、そこに注意深くして、行動する。
呼吸と一体化して心身を働かす。つまり、止観。禅とも言う。
呼吸と共に、自分の内を観察して監察して、内省する。

失敗しても、やり直せばいい。継続が大切。


継続が大切と言うことは、自分自身を大切にすると言うことです。
自分自身を大切にできないでは、他を大切にできません。
自分を甘やかすと言うことではありません。

宮沢賢治のように、
雨にも、風にも、雪にも、夏の暑さにもマケヌ
丈夫なからだ( 心身 ) をもち
少欲知足で決して瞋( おこ) らず
自分を勘定にいれず


よく見ききし わかり。そして、わすれず
東に、西に、南に、北に行って寄り添い、手助けをして
日照りのときは、涙をながし
寒さの夏は おろおろ歩き


みんなに でくのボーとよばれ
ほめられもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしは なりたい

つまり、他と生きていくのならば内省を研鑽して仏となって生きていくのが良い。
どのみち、自他は一つなのだから。

宇宙を造っているモノは、
動物( 人も)、植物も、鉱物も存在する全てを造っているのだから。
ただ、その組み合わせの%が違うだけなのだから。

内省をしている人の言葉は、他の人の心に届く。
内省をしている人の言葉は、自分の心に届く。
内省をしている人の言葉は、全ての生命に届く。
観音菩薩( 観世音菩薩) のように、全ての生命を生かす。

あなたにも、その様な者として生きてほしい。

2015年5月1日金曜日

他への理解と思いやり 東野小学校 6年生 57名


お話しのテーマは「  他への理解と思いやり 」

密蔵院; では、「 他への  」とは、だれのことですか?
六年生; 友だち
密蔵院; 今、六年生の皆んなが話した「  自分以外の人のことですね 」
              つまり、自分以外のもの、友だち、花、木、先生、お父さん、
               お母さん、石、動物・・・などなど。ですね!。
               つまり、自分をとり巻いているもの、人間や動物、植物などですネッ。
                自分を取り巻く自然のすべて。

密蔵院; 次は、「 理解 」とは何ですか。
              そうですね、六年生の皆んなが話した、
             「  相手のことを知っている、分かっている  」と言うことですネッ。

密蔵院;  もう一つ、「 思いやり 」とは、何ですか。
            「 優しさ、慈しみ、手助けしてあげたい、相談にのってあげたい  」などですネッ。

密蔵院; それでは本題に入ります。  ここにあるこれは、何ですか?

六年生;  紙、白い紙、四角い紙、
密蔵院; そのほかには?。ありませんか?。
密蔵院; 今、皆さんは「 紙、白い紙、四角い紙 」としか理解できていません。

密蔵院; では、紙は何からできていますか?
六年生; 木
密蔵院; そうですネッ。木からできています。
             その木は、いきなり大きな木に成ったわけではありませんネッ。
             種から苗木そして、だんだんと大きくなっていきます。
密蔵院; 種から苗木そして、だんだんと大きくなっていく時に、災害にあったり
             日照りが続いて枯れそうになった時は、どうしますか?
六年生; ・・・・・
密蔵院; 思いやりが必要では?   枯れないように手助けをする。

密蔵院; それでは、種から苗木そして、大きくなっていくためには、なにが必要ですか?
六年生; 雨、水、風、太陽、空気・・・
密蔵院; そのほかに、ありませんか?
六年生; 養分
密蔵院; そうですネッ。
密蔵院; 養分とは、何ですか? 私達ももらっています。
             つまり、食べている食べ物ですネッ。他のものの命です。
             私達が大きくなるのに必要な栄養です。他のもののエネルギーをもらっています。

密蔵院; では、木や私達の養分はどこから取るのですか?
              土からですネッ。他に、空気、水なども必要です。

密蔵院; では、土にある養分はどのようにして出来るのですか?
六年生; 虫
密蔵院; 今、彼はいいことを言いました。「 虫 」。
密蔵院; そうです、土の中には大きな虫、小さな虫、もっと小さな生き物、・・・
               一番小さな生き物は?。
密蔵院; 例えば、カビとか?   菌類とか?  小さな命です。
密蔵院; 土の中の生き物どうしも、お互いに助け合って生きています。
              その命のおかげで、土の中に養分となるものがあります。
密蔵院; 私達の体の中の腸にも、たくさんの菌類がいて、助けてくれています。

密蔵院; さて、白い紙にもどります。
密蔵院;  つまり、この白い紙は、雨、水、風、空気、太陽、養分、木・・・そして
              人間の手助け・・・など。があって、この 「 白い紙 」なのです。

密蔵院; 今、六年生の皆んなは、この「 白い紙 」が木だけでなくて、雨、風、水、
             空気、太陽、養分、人間の手助けを必要としていることを理解できたと
             思います。 

密蔵院;  では、六年生の皆んなは、お父さん、お母さん、兄弟、友だちのことを
                どれだけ知っていますか?  理解していますか?
                そして、自分自身のことをどれだけ知っていますか?
                 どれだけ理解していますか? 自分自身のことを?








2015年4月23日木曜日

雨あがり


新緑がとても美しい 、白い花が満開で美しい。
きっと、以前の命の続きなのだろう。


だって、よく見ると以前の命( 枯葉や草 )が土に帰ろうとしている。


さらによく見ると、もっともっと前の命が消えて、今、新緑なの。


私は、大切なあなたなの。
私は、いろんな命になるわ。


だって、土は消えた命の帰った、母の現れだから。


今、見ているあなたも私なの。

二日間降った雨だって、私なのだから。

そうなの、命はみんな繋がっているの。


川だって、山だって、地球だって、宇宙だっていっしょの命。
観えている命だって、観えてない命だって、繋がっている。

だから、けっしてあなたは一人ではありません。
あなたのために、私はいるのだから。
あなたは、私のためにいるのだから。


私に気づいて下さい。
あなたの命の存在を知ることができます。

私に気づいたあなたは、存在している自分に気がついたのですから。
大切にしましょうね。自分を。

あなたがいてくれて、私はとてもうれしい。

2015年4月14日火曜日

四苦八苦の世界から脱して、自分を生きよう。


法話 密蔵院住職 田村圓心 

     幸せを自分勝手に求めても真の幸福は得られません。

      思い込みの仮想の幸せでは、苦しみは増すばかりです。


     生きている毎日の中で、心のコントロールによる無限の安心を釈迦は説きます。

     社会人として経験した、悩み、苦しみ、悲しみ、怒り。
     人間としての孤独、不信、貪り、愚痴、虚しさ。

      仏道の縁によって救われた経験が、
      共に生きるあなたの一歩になればと思います。


         苦しみの原因を理解して、あなたの苦しみを変容させることが大切です。

         あなたらしく生きる為に、実践してみませんか?。

          自分をとりもどすために。もっと自由に生きるために。
          慈しみをもって生きるために。喜びに生きるために。

          時間をかけて、ゆっくりと。自分の心の声を聴いてみませんか。

          ブログを見たとお電話下さい。日時の打合せをしましょう。
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