2014年11月25日火曜日
2014年11月22日土曜日
2014年11月17日月曜日
お母さんと一緒に語る 神領小学校PTA
法話 密蔵院住職 田村圓心
子供の自己管理能力をアップしたい。 自発性、計画性、兄弟姉妹同士の問題。
母親との意思の疎通が思うようにならない。友人関係の問題。父親の問題。
忙しい自分が、命令口調や否定口調になる。自分の都合で叱ってしまう。などなど!
子供とのコミニケーションの悩み。接し方の偏り感の問題。
各家庭でのこれらの問題をどの様に解決するのか?。
「 相手のことを思って! 」との思いが口に出さないけれども、いつも心のどこかにある。
先ず、基本的な考え方として、
「 一人一人の世界観が違うことを認識することです。」
生まれた環境、育つた環境、学んだ環境、家の考え方、自分の受け取り方、
相手への伝え偏り、経験の違い、まだまだ数えきれません。
でも、何故だか!!。お互いが分かり合えていると、錯覚する。
例えば、「 うどん食べたヨッ!。美味しかった 」
Aさんは、素うどん。 Bさんは、天ぷらうどん。
「 うどんを食べた・・・美味しかった。」
言葉としての うどん と 美味しかった は同じに聞こえても?
中身が違う。味が違う。店が違う。一人なのか?。大人数なのか?
例えば、同じ店で、同じうどんを食べても。受け取り方は違う。
この違うと言うことが、一人一人の世界観が違うと言うことです。
この世界観を個性と呼んでも、固定概念と呼んでも良いかもしれません。
この世界観の違う二人が、縁あって結ばれて家庭を持ち、子供を授かり生きていきます。
そうすると、一つ屋根の下に、その家族の数だけの違った世界観が生まれます。
それらの違った世界観が共に生きていきます。
しかし、自分達家族だけが生きているのではありません。
周りには、人間をはじめ多くの命が生きています。
それらの命もそれぞれの世界観を持って生きています。
大切なのは、違った世界観の命が、お互いに助け合って共生していると言うことです。
そうして、最も大切な基本は、全ての存在は常に変化をしていることです。
親も子供も、先生も、友達も、仲間も、草木も、宇宙も、身体の中に生きる菌も
存在する全ての命は毎日変化していると言うことです。
変化とは、成長していると言うことです。
生まれては、消えていくことも変化です。
成長するために、他の命をいただき、
学び、悩み、苦しみ、笑い、悲しみ、生活しているのです。
そこに、今を生きている自分達がいて、共に同じ場所に縁があるのですから、
好き嫌いがあっても、意見が違っても、ともに生きていこうと言う工夫が大切です。
相手の命を生かすと言うことは、自分が生きていると言うことです。
自分に相対する全てを、認めることからはじまります。自分に出来る工夫です。
次の大切な基本を認識し身につけてください。
① 命の世界観は、個々に違う。
② 存在する全ては、常に変化をしている。
③ 全ての存在は、循環して助けあっている。
この基本を自分で己の心に種として植え、いろいろな方法で水や肥料をやって
その種の芽を育てて、大きく成長させることが大切です。
そのことを実行するのか、しないのかはその人自身の自覚です。
実行しないで、悩むのか? 失敗を繰り返しながら共に成長するのか?。
だから私は、相手のことを知らないことが沢山あると言っているのです。
又反対に、相手も私のことを知らないのです。
知らない同士なのだから、知る工夫や努力が必要なのです。
付き合いです。仲間です。縁ある人です。
自分の世界観を押し付けては、お互いに成長しません。
何故か?。押し付けと言う行為は、相手の考え方を無視しているからです。
無視とは、相手を認めていない行為です。これを、自分勝手、自己都合と言います。
親の人生観を押し付けては、いませんか?。
子供の自律を否定しては、いませんか?。
知らない間に・・・・・!
そこに、 認識できないお互いが・・・居て。
自覚できないで、生きているのです。
反抗期といいますが、言葉を変えて申しますと自律期と言います。
自律をしようとしている本人が、
自分の主観的な願い・想い・価値判断が
現実状況の自分とのくい違いにビックリして悩む。
自分で考え、現実とのズレを解決しようとして初めての経験にもがき苦しむ。
まだまだ、先が見えない。あせり・・・感。
悩んでいる時こそ、待つという・・・思いやりは、成長させる。
又、待つていることは、自分( 親 ) をも成長させる。
その時に、キャン、キャンと ・・・ズカズカと・・・無視して入り込んでくる。
この自律への苦闘・苦悶・求聞など、そして失敗ともどかしさ。身体の変化。
これが、青春と言い、思春期と言えるのでは?
親は、自分の人生観に自信をもって見守ってほしいと思う。
オロオロとしている姿は、ますますムカツク。
毅然としているのも、なぜか?。ムカツく。
なぜって、甘えている訳ではないのだが、自信の無さの親に腹がたつ。その反対も?。
そして、腹が立っている自分を観て、ますます情けなく思う。
親に申し訳ないと思いながら。
自律とは、自分で考えて判断し、実行できる独立 と 自分を取り巻く
ルールを守れる責任の取れる自分の成長を、自覚と自律と言う。
だからこそ、自覚・自律していく子供を見守りながら
ケアをするように接してあげて下さい。
キュア ( cure 治療) ではなく。
ケア ( care 心配・気づかい・注意・見守り・世話・保護・配慮・認める ) です。
ケアすることは、相手を認めて苦しみを小さくすることです。
お互いが、傾聴することです。
お互いが共有して、見放さないと言うことです。
父親と母親と子供と兄弟姉妹と、取り巻く友人・知人・先生・PTA・教育など縁ある人々が
渾然一体となって今を生きて行くことです。昔から、苦楽を共にしてと申します。
存在する全ての命は、めぐりめぐって、他の命の為に役にたっているのですから、
繋がっていると言い、循環しているとも言い、助けてくれていると言い。
だからこそ、全ての存在する命に、自己都合の迷惑をかけないと言うことです。
感謝することでしか、命の存在理由が見つからないのです。
いただいています。・・・です。
ありがとうございます。・・・です。
この実践が道徳観です。
つまり、日本人が持つ古来からの精神である、存在する全てに感謝すると言う
徳と、全ての命と共に生きていくと言う道が、自然に養われることと思います。
別の角度からの取り組みの良い例があります。 工夫ができる別の意味での例。
横浜市立 飯田北いちよう小学校 。 半数が多国籍の生徒。
多国籍小学校 として、なにを悩むのか?。いかに工夫するのか?。
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2014年11月13日木曜日
2014年11月11日火曜日
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