2014年3月1日土曜日

不登校•ひきこもり 経験から学ぶ


理解することからはじめる、居場所づくり~


不登校になった私。ひきこもりになった私。
先生•••••   助けて
声がとどかない。どうして?  うらぎられ感がつのる

母親はビックリ!  突然のことに、頭が真っ白になり、思考が停止する。
育て方を間違ったのか。自分を責める母、父は母を責める。

責められている母を見て、子は自分を責める。
そして、父を怨み、母さえも怨む。   いやな自分が、そこにいる。


いつまで続くのか、閉じこもった私。それでも時間は、無関係に流れる。
母は悩み続け、小手先で先々の心配を押しつける。それがカンにさわる。

自分のことしかない勝手な思い込みで。 。。。。。突然、気づく母
世間体を気にする自分の悩みであることに、そこに子供はいない。

囚われすぎていることに、思いが至る。母の涙が止まらない。
子を包み込み、「ごめんねっ    、、、声にならず。気づいてやれず。」



「でも、私も知らないことが沢山あるの。あなたのことを。」
子は、その一言に、自分も知らない母を観る。父を観る。

求め続けている自分を観る。責め続けている自分を観る。
世間や親に責任を転嫁している自分を観る。自分のことなのに。

私は、なぜ聞こうとしないのか?  聴こえないのか?    なぜ?。

自分を観つめ直すことが、最初の一歩だと思う。すると、聲が聴こえる。
心配してくれる聲が聴こえる。信頼できる聲なのだ。

私は変われる。ありのままの姿で良いと気づき。考え方が変わった。

もっと自分のことを話そう。もっと父母のことを知ろう。楽しいことを見つけよう。

お互いが自分勝手な思い込みで、自分をしばらず。もっと、色々な聲を聴こう。
そして、役に立つ自分が、そこに居ることを観る。

       母は山の神。子はかすがい。父は仏。
       母なる大地は、子を育(はぐく)み。父は暴風雨から母と子を護る。自分を勘定に入れず。

        お互いは、縁ある救い主なのだから。認め合うことを学ぼうよっ! 。

0 件のコメント:

コメントを投稿